藤田嗣治とフランスについて

藤田嗣治は日本人でありながらフランス人として生涯を全うした人物です。なので日本人画家としてはあまり知られていないかもしれませんが、パリやヨーロッパではとても人気のある画家なのです。藤田嗣治は東京芸術大学で絵画を学びました。そしてその絵画は大変評価されてはいましたが、教授とのおりあいがうまくいかず、画壇で活躍の場を失ってしまうことになります。そして戦争が始まり、軍にはいるのですがそのすさまじい戦闘やアジアにおける日本人のあり方をみて疑問を抱きます。その表現されたものがおもにアッツ島玉砕やシンガポール陥落という題名の絵画をみると大変よくわかるのではないでしょうか。画家として日本ではなかなか評価されませんでした。やはり画壇においての縦関係がうまくいかなかったのが大きな原因だとされておりますが、のち、パリに渡りその芸術家たちの集まりに大いに影響されることになります。日本で印象派として確固たるものとされたものが、このフランスではシュールレアリズムなどの手法を使ったものなどがはやり、いろんな手法があることを知らされ驚くのです。また。フジタとしてパリで大変評価されることにもなります。日本ではその独特な手法を駆使した作品は受け入れられず、藤田嗣治はどうしても日本での画家として活動しにくくなっていました。そしてパリで洗礼を受け、レオナールフジタとして、フランス国籍を取得。晩年はパリでの創作で過ごしているのです。藤田嗣治の不思議な絵の特徴があります。それはこれまでは戦争絵画や印象派などに傾倒していましたが、晩年には子供の絵が多くみられます。その子供の顔には特徴があり、大きな頭に額、そして小さな吊り上った眼、ちょっととんがった口の子供たちが描かれています。そしてそのような顔をした子供たちが集まり、遊んでいる姿などがほほえましく描かれているのです。どうしてこのような顔をした子供たちばかり描いたのでしょうか。それもひとりとしてちがった顔は描かれていません。藤田嗣治は言っています。彼には子供はいませんでした。なのでもし、自分に子供がいたら、こんなかおのこどもがほしい、そしてこのようなかおの子供たちと遊んで暮らしたい。と晩年よくつぶやいていました。藤田嗣治の絵画の変遷はめまぐるしいものでしたが、晩年においてのこどもをモチーフとした絵画にはなにかとても心おだやかな日々を送っている彼の姿がうかがえます。今、藤田の住んでいた家の近くに教会がたてられており藤田の資料館としてあります。その教会も藤田がこどもと遊ぶとたのしいだろうと想像した建物とされており、フランスでのおだやかな日々が今もうかがえるのです。

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