藤田嗣治氏とは、フランスで最も有名な日本人が画家です

藤田嗣治氏は、フランスで最も有名な日本人画家です。26歳の時に単身フランスのパリに渡り、日本画の手法を油彩画に取り入れた画風で一世を風靡しました。作品は、肖像画、風景画、動物画、自画像と多岐にわたりますが、藤田嗣治氏の代名詞と言われているのは女性の肖像画です。中でも裸の女性をデッサンした裸婦の肖像画は、極めて高い評価を得ています。裸婦の肖像画が高く評価されている理由は、藤田嗣治氏が創り出した独特の乳白色にありました。女性の白く柔らかな肌を表現した肖像画は、1920年代のパリでセンセーショナルな話題を巻き起こしました。藤田氏が30代後半の頃です。この有名な乳白色については、藤田嗣治氏は亡くなるまで絵具や技法について語ることはありませんでしたが、近年、藤田氏の絵画が修復された際に、乳白色の秘密の一端が明らかになりました。

藤田氏は硫酸バリウムを下地に使い、その上に炭酸カルシウムと鉛白を1対3で混ぜ合わせた絵具を塗っていたということが分かったのです。炭酸カルシウムは油と混ざると少しだけ黄色みを帯びます。この黄色みこそが藤田嗣治氏の名を有名にした乳白色の根幹であったのです。パリの画壇でセンセーショナルな話題を巻き起こし、経済的にも成功を収めた藤田氏は、当時は珍しかったお湯の出るバスタブを自室に備え付けたと伝えられています。そして、多くのモデルが彼の部屋を訪れました。今に伝わる藤田嗣治氏の写真を見ると、漫画のキャラクターのような風体をしています。眉毛の上で切りそろえた前髪、黒い縁の丸眼鏡、鼻の下に蓄えたちょび髭、そして蝶ネクタイ。まるで、映画のサイレント時代に一世を風靡した喜劇俳優のようなスタイルでカメラに収まっています。

もちろん喜劇俳優的な雰囲気というのは今の時代にあって感じることで、1920年代のパリでは最新のファッションに身を包んでいたことでしょう。当時は写真撮影自体がまだ一般的ではなかったことも影響しているのでしょうか、今日に残る写真では眼光が鋭いことがとても印象的で、芸術家としての感性がうかがえます。藤田氏は当然ながら女性にはモテたようで、生涯5度の結婚をしています。なお、藤田嗣治氏は1886年東京生まれ。陸軍の軍医であった父は息子を医者にしたいとの希望を持っていましたが、14歳の時に嗣治氏が画家になりたいと告げると、黙って画材を買うためのお金を渡したということです。1968年に81歳で亡くなりました。

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